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林家こん平が『笑点』に遺した、“山田イジり” という「新しい伝統」 - 現代ビジネス

『笑点』の人気者、旅立つ…

たとえ姿は見えなくなっても、その魂は消えない――。

12月17日、落語家の林家こん平さんが誤嚥性肺炎のため、亡くなった。77歳だった。1966年5月放送開始の『笑点』(日本テレビ系)の第1回から出演し、1969年4月から3年4ヶ月ほど抜けたものの、1972年7月30日から2004年9月5日放送分まで大喜利のメンバーとして登場。

オレンジの着物で元気良く振る舞うこん平は、出身地の新潟県千谷沢村(現・長岡市)を「チャーザー村」と呼び、地元ネタや大食いキャラなどで約35年にわたって番組を牽引した。

BS日テレ『笑点 特大号』公式サイトより

冒頭の挨拶も、1つの芸に昇華していた。直前にインテリ気質な三遊亭楽太郎(現在の六代目三遊亭円楽)が小難しいことを述べた後に「私にはそういう難しいことはわからないんですけど」と連携プレーで笑いを取り、最後は観客と一緒に両手を上げる「チャラ〜ン!」で会場を大いに沸かせた。

地方収録の1週目には

「郷土の皆さま方、お懐かしゅうございます。『香川県』で生まれて、新潟で育ったこん平が久方ぶりに地元に帰って参りました」(1999年1月10日。「香川県」の部分にはその週の収録場所の地名が入る)

と笑顔を振りまき、2週目には

「先ほどから友人、知人が楽屋の方に、手に持ち切れないくらいのお土産を頂戴しました。この場を借りて、厚く御礼を申し上げます。なお、会場のお客様にお知らせがございます。私の帰りのカバンには、まだ若干の余裕がございます。こん平でぇ〜〜〜す!」(1999年1月17日。香川県『ユープラザうたづ』からの放送)

と声を張り上げた。どこの県に行っても、都市の名前だけを変えて同じ挨拶を繰り返すことで、1つのギャグの型になった。

様々なネタを持つ中でも、“山田隆夫イジり”は特筆すべきものがあった。

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