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“絵本のノーベル賞” 安野光雅さん死去 海外でも高い評価 - NHK NEWS WEB

絵本や挿絵の画家として知られ「国際アンデルセン賞」を受賞するなど海外でも高い評価を受けている安野光雅さんが先月、肝硬変のため亡くなりました。94歳でした。

安野さんは、大正15年、島根県津和野町で生まれ、東京で小学校の美術の教員をしながら本の装丁などを手がけたあと、オランダの画家、エッシャーの絵に影響を受け、昭和43年に絵本、「ふしぎなえ」を発表して絵本作家としてデビューしました。

いわゆる「だまし絵」などのテクニックを駆使した独創的な絵本や司馬遼太郎の歴史紀行、「街道をゆく」の挿絵など淡い色づかいとやさしい雰囲気の作品を数多く発表してきました。

海外でも高く評価され、昭和59年には「絵本のノーベル賞」とも呼ばれる「国際アンデルセン賞」を受賞しています。

平成13年にはふるさとの津和野町に安野さんの作品を集めた美術館が建設され、幅広い年代の人たちに親しまれてきました。

平成24年には文化功労者に選ばれています。

安野さんは、自身の誕生日で美術館の開館記念日でもある3月20日に美術館を訪れるなどして、ファンとの交流を続けてきました。

デビュー作、「ふしぎなえ」の版元である福音館書店によりますと、安野さんは来月にも新しい絵本の発売を予定していて、新刊の完成に向けて去年の秋ごろまで仕事を続けていたということです。

またことしは津和野町の美術館で企画展も準備していたということですが、関係者によりますと先月24日、肝硬変のため亡くなったということです。94歳でした。

詩人 谷川俊太郎さん「とても豊かな人柄」

安野さんと長年の親交があり、共著もある詩人の谷川俊太郎さんは「安野さんの初期のころの絵は、前衛的でほかの誰とも違う作風でした。それがその後、きれいな風景画を多く描くようになっていった。作品の中に合理主義的なところと叙情的なところが同居していて、見れば一目で安野さんが描いたと分かる、そんな絵を描く人でした。島根県の津和野町出身ということで自然が好きだったことも作品の魅力を引き立てていたと思います。とても豊かな人柄で、安野さんと一緒に仕事ができたことは自分にとって幸せなことでしたとお伝えしたいです」と話していました。

安野光雅美術館長「人柄や業績を次の世代に」

安野光雅さんの出身地、島根県津和野町にある安野光雅美術館の中島巖名誉館長(87)は、前の津和野町長で、美術館の建設計画を立ち上げて以来、安野さんと長く親交があります。

訃報に際し、「ひとつの時代が終わったなと感じました。ことばにならないさみしい思いがしました」と胸の内を明かしました。

そのうえで、安野さんの人柄について、「いばったところが全くない人で、美術館の話を相談したときも謙虚さゆえに、『自分の作品を飾るなんておこがましい』と渋られたほどです。忙しいときも、無理をしてでも時間を作ってくれる人で、親しく接してくれました」と振り返りました。

そして、「安野先生が亡くなった今、先生の作品を守るとともに、人柄や業績などを次の世代の子どもたちに広く伝えていき、先生や地域に誇りを持ってもらうことが最も大切だと思います」と話していました。

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